多言(その1)

多言が窮すとは限らない。多言で窮すのは話している者が有名だからである。周りを見渡してみると有名人でなければ、口数が多くても窮すことはない者もいて、むしろコミュニケーションを取るのに有利でさえある。多言で窮すのは有名でやっ… 続きを読む 多言(その1)

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聖人(その2)

無為の事に居り、不言の教えを行う 善いことには善いことの効果があり、悪いことには悪いことの効果がある。したがって一面だけ見て善いことを行おうとはせず、一つの行為に良い面と悪い面を考えて慎重に施策する。聖人の言葉を慮って顔… 続きを読む 聖人(その2)

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為す無きを為さば即ち治まざる無し 気を揉んで自分がやらなければと思うより、じっと我慢して民の自分達がやらなければという思いが生じてくるのを待つ方が良い。もっとも聖人が世を治めることにおいて気を揉んでいるかどうかはわからな… 続きを読む

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聖人(その1)

聖人は仁ではない。聖人が民と親しくすれば、民は自らがやるべきことを放棄して聖人に頼るようになるだろう。あの人にやって貰えば良いと安易に発想するのである。民とはそういう存在である。したがって聖人は民と親しく付き合うことはな… 続きを読む 聖人(その1)

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手段としての誠意は真心ではない。これがこれが道だと言えるような道は道ではない。何かを行った時、相手の反応があるため、その時使った手法がいつまでも使えるわけではなく、反応の結果変化した相手に対して新しい手法が必要になるので… 続きを読む

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