柔弱

硬い(剛)方が強いとした場合、争いの属性がエスカレーション(昂進)であるため、柔弱の者が勝つ場合もある。硬くなるためには選択と集中を行う必要があるため、状況が変化してしまえば、著しく不都合が生じる場合もあるのである。争い… 続きを読む 柔弱

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仕事の視点からは、当たり前のことをやる人と当たり前のことをやらない人がいる。仕事は特別なことをやる人と当たり前のことをやる人のに種類を考えた場合、特別なことをやる人が上で、当たり前のことをやる人が中だと思っていませんか。… 続きを読む

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聖と智

聖人が一人で稼ぐ利益より、たとえ聖人の稼ぎの半分でも百姓が稼ぐ方が利益の総額は格段に大きくなる。頼るつもりなら聖人のいる社会がいいが、自分で稼ごうと思えば聖人はいない社会の方がいい。なぜなら、自分は聖人ではないし、他の者… 続きを読む 聖と智

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寵辱

自分が一人だけいる場合、天下を治める能力があっても、天下を治めようとすると自らの命を失うならば、自らの命を失った時点で天下を治められないため、天下を治めようとすることに意味はない。天下を治めることに責任を感じるのであれば… 続きを読む 寵辱

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絶学無憂

「学を断てば憂いなし」。これは結果ではなく始点である。 こちらに関する情報収集・学びを断つことができれば、こちらの野心は悟られないため憂いはなくなる。こちらの野心を悟られなければ、相手は警戒しないため、態度を恭しくして敵… 続きを読む 絶学無憂

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天地

「聖人は、その身を後にしながら先んず」。本質からすれば、自分でその身を後にしたのだから、結果として後になるはずである。しかし、属性もあるのであって、属性は「この人を蔑ろにできない」である。蔑ろにできなければ、本人は後にな… 続きを読む 天地

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玄牝

排除の論理が働いていれば、「この人のために働こう」という気持ちは起きないだろう。その人を気持ちとして受け入れている者がいれば、気持ちとして受け入れている者のために働こうと思う者も多いだろう。気持ちとして人を受け入れていく… 続きを読む 玄牝

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上善は水の若し

「聖人は仁ならず」と整合性を持たせようとすれば、「水は万物を利する」という意味は、聖人の恩沢が、民・百姓に及ぶという意味ではない。聖人が仁でなければ、水が万物を利する話をしてもしょうがない。そこで「水」を情報の借語と考え… 続きを読む 上善は水の若し

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天地の間

本質(天)と属性(地)の関係(間)は夾雑物はなく(虚しく)、屈折したところもない(密接不可分)。その働きは橐籥(吹子)のように次から次へと結果が生じる。本質による結果もあれば、属性による結果もある。結果は本質に因るか、属… 続きを読む 天地の間

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道(その二)

徳の障害者も受け入れ、仕事のできない者も受け入れる。作業能力が高くても、人間的に劣っている徳の障害者が居り、人間的な勉強が進んでいても、作業能力の低い仕事のできない者がいる。その時、その時、来た者を受け入れられれば、道に… 続きを読む 道(その二)

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