反と用

道は進んで極まれば、限界を超えた時点で反すのである。反すのが道の動き方、動である。限界を超えて、その方向性が無限に続くことはない。人間社会のことであれば、なおさらである。

道を進むには選択と集中を必要とし、その方向性と異なる状況へと状況が変化した場合、対応が難しいとすると、道が道であるためには、あらゆる状況に対応できる幅を必要とする。そうだとすれば道が道であるためには、道の働き、いわゆる「用」は弱である。弱ければ選択と集中は行えないのである。あるいは、選択と集中を行えなければ弱いのである。選択と集中を行えなければ、対応幅は広くなる可能性があるのである。道の「用」とは、道の可能性のことである。「道の使い途」と便宜的に考えれば考えやすいのかもしれない。

老子はいう「反とは道の動、弱とは道の用」と。

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