知者

「知る者は言わず、言う者は知らず」という世の中の様子について。

世の中は片務する者がいることで成り立っているのだが、「他の人がやらなくても社会のために必要な作業は負担しなければならない」と教えると、「それなら、やる者が損で、やらない者が得をするじゃないか」と疑問を持ち、「それなら、やる者にやらせて、自分はやらない」と発想する者がいる。しかも、教えているだけだと「教えていただき、ありがとうございました」ということにはならず、「そう言うなら、そう教えるアンタがやればいいじゃないか」と思われる。教える者が率先して範を示さなくても、自分が社会のために片務的に働かなければならないとは考えずに、「そう言うオマエはどうなんだ」と反感を持つ。そうなれば、社会のために片務的に働くことを学習者自身に任せて考えさせて良いのかという疑問には答えが詰まりはする。

自分で考えて「他の人がやらなくても自分は片務的であっても負担しなければならない」という考えに至った者は、黙っており、「他の人がやらなくても自分は片務的であっても負担しなければならない」という考えに至らなかった者は、正しいことを臆面もなく話し始める。安易に正しいことを話し始める者は、実行の段階になると自分は例外なのである。知者はそれを自分で考えられるのである。知者とは正しいことを知っているかどうかではなく、正しいことをやるかどうかである。知者は実行の段になると、やるのである。知者は安易に正しいことを話しているわけではないのである。

老子はいう「知る者は言わず、言う者は知らず」と。

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