柔弱謙下

謙るのは、上位に立つことと下位に居ることのどちらが有利かを考えて、謙っているのではなく、下位に居ても自らの目標を達成することができると思っているから、謙っているのである。これは実力者の発想である。実力も無いのに、ただ謙っても袖にされるだけである。しかし、最初は実力が無くて下位に居ても、下位に居続ける中で実力を培い、謙っても袖にされない存在になることはありうる。処世として発想した場合、下位に居れば蔑まれる可能性があるのに対し、上位に立てば怨まれる可能性があるのである。蔑まれる可能性がある中で目標を追求する方が、怨まれる可能性がある中で目標を追求するより容易かもしれない。それなら、能力のある者は謙るだろう。政治的なコストが小さいからである。

老子はいう「江海の能く百谷の王為る所以の者は、其の善く之に下るを以て、故に能く百谷の王為り」と。

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