お年玉

モノを作る者はモノを大事に扱える者に使って欲しいと思うだろう。そうであれば、優れたモノを作れる者は、モノを粗末に扱う者に使って欲しいとは思わないだろう。モノを大事にする者に優れた器機が集まってくる傾向にあるのである。

老子はいう「聖人は常に善く物を救う、故に物を棄つること無し」と。

世の中には、お金を取ろうとする者とお金を与えようとする者がいるのである。お金を与えようとする者は、お金だけ与えれば自尊心を傷つけることになるかもしれないと発想し、仕事も与えようとする。

世の中においては、お金を取ろうとする者の輪と、お金を与えようとする者の輪は別なのである。お金を取ろうとする者の輪は、お金を取ろうとする者で回り、お金を与えようとする者の輪はお金を与えようとする者で回る。

経済活動をお金と仕事の交換と考えた場合、お金を取ることだけが介在するわけではない。意味として、不愉快であってもお金を与えた者がいるはずである。お金を受け取った者は、全員が全員、取りっぱなしではなく、仕事で返そうとする者がいるのである。先ず、お金を与えることで回り始める経済もあるのである。この場合、回り始めた経済においてお金は仕事で返ってくる。仕事の代償としてお金が支払われているのではなく、お金の代償として仕事が支払われているのである。自分のところに仕事が支払われていれば、良いモノが作れても不思議はないだろう。

取る経済に成功して手元に溜まるのはお金であるのに対し、与える経済に成功して手元に届くのは仕事である。

お金で返されなければ、馬鹿であると考える者もいれば、仕事で返されなければ、馬鹿であると考える者もいる。

仕事で返された場合、手元に届いた仕事は商品化してマーケットでお金に換えればいいのである。

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