老子はいう「民の治め難きは、その智多きを以てなり」lと。それでは相対的に何が少ないのだろうか。

智が多いかどうかよりも、その智に見合った行動・実践が乏しいと考えたらどうだろうか。行動・実践が伴えば、その智が多くても、その智が多いということは意味として言えない。なぜなら、民の智であれば、それが出鱈目であるわけではないからである。民の智であれば間違っているというわけではないため、行動・実践が伴えば、聖人のやらなければならないことなどほとんどない。

智が多ければ、何が少ないのかと考えた場合、ここでは行動と実践を考えたのだが、情が多くても国は治め難いと思う。また、迷いが多くても国は治め難いと思う。

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